charafre シーズン1 第5話 いっしょにごはんを食べたくて

文章:春日康徳

「ダメだダメだ!! 学園に関係ない者は、校内に入ってはいかんと言ってるだろう!!」

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大音声が正門前で轟いている。体育の柏木寅梧郎先生だ。何事かと思って首を伸ばせば、先生の前には小柄な女の子がぽつんと立っていた。

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彼女は立ち憚る柏木先生に対して、何事か必死に訴えかけているのであった。
柏木先生は、「ダメだ!」の一点張り。
いったい何事か。興味をそそられた私は、さらに注意深く女の子を観察することにした。アクセサリであるはずの女の子がつけた猫耳は、どういう訳か時折、ぴくりと動く。まるで本当に神経が通っているかのようだ。また、彼女は声を荒げる先生を不思議そうに見上げている。自分が何を言われているのか、どうして学園内に入れてもらえないのか、まったくわからないといった風だった。
要領を得ない相手に対し、先生もたまらず、「ほら、帰った帰った!!」と追い払うしかないようだった。
しかし、猫耳の女の子を見る限り、悪い人間ではなさそうだった。彼女は純朴そうな女の子である。学園内に入れたからといって悪さをするようにはとても見えない。
女の子のささやかな願い——翔愛学園に入りたいという願いを、私は叶えてあげたいと思うようになった。何か彼女なりの事情を抱えて、ここまで粘っているのだろう。猫耳の少女の手助けになればと、私は「柏木先生!」と呼びかけて仲裁に入った。
柏木先生は怪訝そうに振り返った。
「ん? 何か用か?」
「あの、その女の子……」
「……お前の知り合いなのか?」
「この子は……ですね……」
一瞬、間をおいてから私は、「い、妹です!」と言い張った。
変に間をおいたせいで怪しまれるのではないか。咄嗟に口を衝いた出任せを見透かされるのではないかと内心ヒヤヒヤした。
「なんだ、お前の妹か?」
意外にも柏木先生はすぐに信じてくれたのであった。しかし、すぐに眉根を寄せ、
「で、お前の妹が何の用だ?」
と疑問をぶつけてくる。
「さっきから翔愛学園に何の用があるのかと訊いているが、この通り何も話そうとせんのだ」
顎をしゃくって先生が視線を促す先で、猫耳の少女が微笑む。それがまた、憎めない笑顔なのである。
「えーと……。そ、それが……ですね……」
頭をフル回転させて、私は言い訳を考えた。女の子を救いたい一心だった。
「あ、そうそう!」
私はひらめいた言葉をすぐさま紡ぎ出す。
「来年、この学園に入学を希望しているので、学園を見学させてやろうかなと……」
あまりに取ってつけた言い訳に自分でもさすがに不安だった。第一、これでは女の子が話をしない理由の説明になっていない。どうするべきか? 早くも頭の中で次なる言い訳を探っているとき、
「なるほど、そういうことだったか」
と先生はあっさり引き下がった。少女との押し問答にさすがに疲れていたのかもしれない。
ここぞとばかりに私は「そういうことなので、妹を通してやってくれませんか……?」と畳み掛ける。
これはいけるという感触をつかみかけた矢先、柏木先生はぴしゃりと言い放つ。
「――ダメだ」
「なぜですか!?」
ややムキになって私が聞き返すと、先生は「例え妹であってもだな。許可なくここを通すわけにはいかんのだ!」と切り捨てた。
許可証の重要性は、私も身にしみてよく知っている。翔愛学園に入学したばかりのころ、自分も許可証を手に入れるために苦労したからだ。
「お願いします! 妹はこの学園に憧れてるんです!! この学園の生徒になるのが夢なんです!!!」
必死に訴えたところで、柏木先生は厳しい表情を崩さない。
「しかしだな……」
柏木先生には、不審者から学園を護らねばならないという使命がある。その理屈は十分理解しつつも、こんないたいけな少女の通行すら許さないのは、あまりに融通が利かないのではないか。ため息を漏らした矢先、私は隣の少女を見やった。
女の子は、目にうっすらと涙を浮かべている。潤んだ瞳からぽろりと涙の雫がこぼれ落ちる。

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柏木先生は少女の涙にたじろいだ。
「な、涙……」
この機会を利用しない手はない。私はしゃくり上げる少女の背中をやさしくさすりながら、
「泣かないの。柏木先生は、怖そうに見えても本当は優しい先生よ」
と言って慰めつつ、柏木先生に視線を送った。
「むう……」
義務と良心との呵責に悩みつつ、柏木先生はうめき声を漏らした。
「ちょ、調子のいいこと言って、おだてたってダメだぞ!」
そう言って柏木先生は腕組みし直す。
とは言ってみたものの、少女は泣き止まないし、気まずい沈黙が流れるしで、後味が悪かったのか、柏木先生はわざとらしい咳払いをひとつして、
「ま、まあ、しかしあれだ……」
とお茶を濁した。
「事情が事情でもあるし……その、今回は特別に許可しよう」
「やった! ありがとうございます!」
少女もようやく泣き止んで、柏木先生に笑顔を向ける。
そんな純朴な少女から微笑みを向けられて、柏木先生は目のやり場に困ったというように後頭部に手を当て、
「う、うむ……。あまり長い時間はダメだぞ!」
と威厳を保って言った。
「はい! じゃあ、行こうか」
私は少女を促して、正門から離れて行った。
「柏木先生を騙しちゃったけど……。通してもらえてよかったね」
背中越しに振り返り、柏木先生の姿が遠くなったことを確認する。私は少女に話しかけた。私たちは、とりあえず正門を通って、下駄箱までやってきた。
「……」
しかし、少女は一言も発することなく、不思議そうに私を見つめ返してくる。
「えっと……自己紹介がまだだったよね?」
私は自分の名前を名乗ってから、少女の名前を問うた。
「……」
しかし、少女は不思議そうに首を傾げるだけだった。
言葉は聞こえているようだ。もしかしたら日本語がわからないのかもしれない。色々な推測が頭を駆け巡ったが、ひとまず会話のとっかかりをつかもうと、私は問いを重ねた。
「ネコ耳が似合ってるね♪」
「……」
やはり無言。めげずに私は
「何か話して頂戴。協力できることがあったら、お手伝いするからさ……」
「……」
少女は依然として愛想のいい笑顔は浮かべつつも、何も答えようとはしないのであった。
さすがにこれには参ってしまった。
どうしようもないのである。しかし、このまま猫耳の少女を放っていくわけにもいかない。彼女は何らかの事情を抱えて、翔愛学園に来たかったはずなのだ。
何かしらとっかかりはないか。私は頭を高速回転させる。猫耳をつけた言葉を話せない少女――。自分の中で彼女の特徴を挙げていくうちに、ひとつのひらめきが脳裏を駆け巡った。
そう、猫耳である——。
「そうだ! タマちゃんなら何かわかるかも!」
私は思わず握りこぶしに力を込めて言った。
タマちゃんとは、玉野みるくという購買部のお姉さんだ。彼女は人と会話のできる猫で、一風変わった学校職員なのである。自分が本物の猫だと主張して止まない。「タマちゃん」というあだ名の由来も、そんな彼女のキャラクターに拠るものか…。
とりあえず、猫耳同士なら、打ち解けて何か話し始めるとっかかりがつかめるかもしれない。藁にもすがる思いで、私は猫耳の少女の背中を押して、購買部へ向かった。

「 タマちゃん!」
私が呼びかけると、タマちゃんは、
「にゃ!」
といつも通りに猫耳をぴくりと反応させて振り返った。

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「おはようございます……」
「おはようにゃあ♪」
挨拶を返したタマちゃんは、私が連れてきた猫耳の少女に気がついて、首を傾げた。
「あにゃ? その猫ちゃんはどうしたのにゃあ?」
(……猫?)
私が連れてきたのは、猫耳の少女で、猫ではない。タマちゃんはどうやら少女のことを指しているらしいと気がついて、私はお愛想笑いを浮かべる。
少女が警戒して、さっと私の背中に身を隠す。
「えっと、その……。この子に見覚えはないですか?」
「うーん……」
タマちゃんは、少女に顔を近づけ、クンクンと鼻を動かしたりしてから、
「ないにゃねぇ……」
と首をかしげた。
「そ、そうですか……」
いよいよ、最後の頼みの綱であったタマちゃんも何も知らないと言う。こうなれば警察に届けるしかないと覚悟を決めたそのとき、
「この子……」
と、はっとしたようにタマちゃんが言った。
「この子…が、なんですか?」
少女をよりよく観察しようと、タマちゃんはゆっくり目を細めた。
「タマが見たことがないということは……ひょっとしてこの学園の生徒じゃないにゃ!?」
しまった、という顔がまんまと表情に出てしまう。誤摩化すように私は、「あ、いや、その、なんでもないんです!」と言いつつ、猫耳の少女と共に後ずさりした。
「今のことは忘れて下さい! 失礼しましたーっ!」
私たちは購買部から踵を返し、校舎を出ようとする。
そこへ、
「ちょっと、何をやってるの!?」
と不審な行動をとる私たちを咎める鋭い声が上がった。

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立ち止まって顧みれば、五十嵐飛鳥生徒会長が立っている。小柄な飛鳥会長はともすれば中学生にも見えるが、歴とした翔愛学園の生徒である。桃色の髪をふた作りにしており、腕組みして立ち憚る姿には威圧的な貫禄がすでに漂っている。
「うわっ! せ、生徒会長!!」
購買部でタマちゃんに秘密を見透かされ、動揺している矢先に、今度は飛鳥会長のお出ましだ。どうしようかと考えたが、頭がうまく回らない。
先日、ひょんなことがきっかけで、私は生徒会の仕事を手伝う特別役員になっている。まあ、特別役員とは名ばかりで、実のところはただの使い走りなのだが……。
「いったい何驚いてるのよ?」
やましいことがあるのではないかと、飛鳥会長が探りの目を入れてくる。追従笑いを浮かべる私の容子から察したようで、
「はは~ん? また、何か隠し事かしら?」
と決めてかかっている。
「ち、違いますってば!」私は胸を張って主張した。「私はただ、この子を助けようと……」
「あら? その子、この学園の生徒じゃないようね?」
「あ、はい……」
二の句も告げず、私はここは認めるしかないと腹を括った。そうやって認めた上で、会長にも猫耳の少女の処置をどうするべきか相談しようと考えた。
「この子、何か事情があるみたいなんです」
「事情ねえ?」
どうやら人助けしようとする私の気持ちは汲んでくれたらしい会長は、鷹揚に頷いた。
「……それにしても、よく部外者を校内に入れたわね?」
「それは、私の妹ということにして――」
「妹ですって!?」
間髪入れず飛鳥会長が重ねる。
「そ、そうでも言わないと入れてもらえそうになかったので……」
言い訳がましくなるのは仕方がないが、言うことは言っておこう。私は恐る恐る会長の機嫌を伺った。
「いくら人助けとはいえ、嘘をつくなんて、呆れた人ね……」
やれやれと首を横に振りながら、飛鳥会長は長く息を吐いた。
「すみません……」
「それで? この子はいったい誰なの?」
飛鳥会長の問いに対し、私は顔をうつむけるしかなかった。
「それが……この通り何もしゃべらないんです」
猫耳の少女に顔を振り向けば、彼女は相変わらず純朴な笑顔を返してくる。
「まあ、この子が心を開くまで、時間をかけて訊いてみることね」
そう言うと、飛鳥会長は踵を返してしまった。
「あなたが助けたんだから、最後まで責任を持って面倒をみなさいよ!」
「あ、はい……」
どうやら学校関係者ではない者を校内に手引きした件は見逃してくれるつもりらしい飛鳥会長の背中を見送りながら、私は思わず、「面倒をみるって言ってもな……」とつぶやいた。
頼れる人もいなければ当てもない。女の子は何も答えない。もはや進退窮まったと思った矢先、偶然生徒会会計の辻蔵弥生が私たちの前を通りかかった。
そのときである。
「あ! 弥生ちゃん!」

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私の隣で、辻蔵さんを呼ぶ声が起こってはっとする。
「え!?」
何が起きたのかと顔を振り向けてみれば、「弥生ちゃん」と声をあげたのは、私の隣にいた猫耳の少女だった。
突然、猫耳の少女が発した言葉に、私は驚かされた。
「今……しゃべった!?」
彼女がはじめて発した言葉に面食らいつつも、ようやくつかめたとっかかりを無駄にするわけにはいかないと、早くも私は次の算段を巡らせている。
「この子、辻蔵さんの知り合いなんですか?」
藁にもすがる想いで、
「いいえ、知らない子ですけど…」

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「ですが今、この子は弥生ちゃんと呼びかけていましたけど……」
「弥生ちゃんに会いに来たんだにゃ~」
ふたたび猫耳の女の子が話し始めた。
「えっ!? 」
猫耳の少女は、購買部のタマちゃんと同じく猫語で話すのであった。
「えっと……??? あなたとどこかで会ったかなぁ?」
弥生が訊ねると、猫耳の少女は大きくうなずいて、
「そんなことより、弥生ちゃんと一緒に給食が食べたいにゃ~」
と訴えた。
辻蔵さんと私は互いに顔を見合わせた。
「ここには、給食はないのよ」
そう告げると、「にゃ、にゃんと!! それはほんとにゃか~?」と少女が確認してきた。
「ええ、本当よ……」
事実を突きつけられた彼女は、がっくりと肩を落とした。
「弥生ちゃんと給食を食べるの楽しみにしてきたのに、がっかりだにゃ~」
いったいこれはどういうことなのか。辻蔵さんに問う目線を送ってみても、彼女は首を振るだけだった。

「この子のこと、本当に知らないんですか? 昔一緒に遊んだことがあるとか……」
私が問うと、弥生は顎に手を当てて考えはじめた。
「そう言われたら、どことなく見覚えがあるような……」
弥生は空を眺めて思案すると、一転、何かに思い当たったのか少女を振り返って問うた。
「う~ん……。あなたお名前は?」
「みう!」
「……えっ!?」
信じられない、というように、目を見開く辻蔵さん。
「名前。『みう』だにゃ~♪」
「『みう』って、まさか……!」
はっと口を両手で押さえる辻蔵さん。
普通ではない驚き方に、私は「何か思い出したんですか? やっぱり知り合いなんですか?」と訊ねてみた。
「『みう』っていうのは、家で飼ってる猫の名前なんです……」
「猫……?」
私はもう一度猫耳の少女を見やった。『その猫ちゃんはどうしたにゃ?』と訊いてきたタマちゃんの言葉を脳裏によみがえらせる。
そんなはずがない。目の前の女の子が、ネコのわけがないではないか。自分に言い聞かせる私に対して辻蔵さんは、
「そ、そういえば、みうに仕草や雰囲気が似ているような……」
自分でも気持ちの整理ができていないのか、眉を寄せて言った。
「それって、飼い猫が人間に化けて学校へ来たってことですか!?」
「まさか!」
弥生はすぐさま私の推論を否定したが、お互い、完全に否定しきれないとも考えていた。翔愛学園には、守護天使たるミカちゃんの存在もある。こんな奇跡が起こったとしても、なんら不思議はないのではないか……。
「みうは、ネコじゃないにゃよ」
ネコが人間に化けたと話し合う私たちの会話を、みうは一生懸命に否定する。
「人間なのにゃ!」

自分は人間であると主張するみうをよそに、辻蔵さんは自分の考えに確信を持ちはじめているようだった。
「やっぱりこの子……うちの『みう』だと思う……」
「え!?」
「私には判るんです!」
正気を疑う私は、思わず「ほ、本気ですか?」と詰め寄った。
「もちろんです!……だって、ずっと一緒に暮らしてきたんですから……。みうのことは実の妹だと思っています!」
「そんなことって……」
茫然とする私の前で、辻蔵さんはみうの頭をやさしくなではじめた。ご主人様になでなでされてまんざらでもないのか、みうはうれしそうに目を細め、彼女に抱きつく。
「あ、そうだ!」
辻蔵さんがうれしそうに声を上げた。
「給食はないけど、この子を食堂へ連れてってやろうと思います」
「本当かにゃ!?」
どうやら2人を止めることはできそうにない。
ここまで少女を匿ってきた私のことなどもう忘れてしまったかのように、猫耳の女の子・みうは、辻蔵さんと一緒に学食へ去って行ってしまった。

二人と別れた私は、学食には行かずに購買部に立ち寄ることにした。二人が学食でごはんを食べている間に、もう一度タマちゃんに意見を聞きに行こうと考えたのだ。最初に話を訊きに行ったときは、まさかみうちゃんが猫とも思わず、タマちゃんの意見を真摯に受け止められなかった。しかし、今なら猫が人間に化けるはずがないという先入観抜きで、話を訊けるはずだと思うのだ。
「タマちゃん! お聞きしたいことがあるんですけど、今いいですか?」
私が購買部に押し掛けると、タマちゃんはこころよく応じてくれた。
「もちろんですにゃ。でも、あんまり難しいことは聞かないでにゃね♬」
タマちゃんの目をしっかりと見据えた私は、猫耳の少女・みうとの出会いから順に話しはじめた。
「実は女の子が学校に来てね。辻蔵さんは、自分で飼っている猫って言うの。そんなことってあるのかな……?」
「もちろんあるにゃよ」
タマちゃんの回答は単純かつ明解だった。
「猫は100年生きると猫又になるのにゃ。もしかしたらその子も、猫又かもしれないにゃ~」
みうは猫の妖怪だったの!? 私はひとしきり唸ってから、
「だけど、辻蔵さんが子猫の時に拾ってきたって言っていたし、100年も生きていないと思う……」
と答えた。
「う~ん。猫又じゃないとすると、もしかしたら……」
タマちゃんが口を開きかけたそのとき、購買部に辻蔵さんが駆け込んできた。みうと学食で食事をしているはずの彼女が、どうして慌ててやってきたのか。青ざめた彼女の表情から、私は何かあったらしいと察した。
「た、大変です~!!」
「あ、辻蔵さん。どうしたの!?」
「こっちに、みうが来ませんでしたか?」
必死に訊ねる。
「目を離した隙にいなくなってしまって……」
「こちらには来ていませんけど……」
悲痛な面持ちの彼女に気遣いながら、私は慎重に訊いてみた。
「どこに行っちゃったのかな……?」
「もしかしたらその子……」
それまで長考していたタマちゃんが口を開いた。
「猫の大天使様に、願いを叶えてもらったのかもしれないにゃ」
「ね、猫の大天使様?」
あまりに突拍子もないタマちゃんの話とは思いつつも、自分自身、翔愛学園にたびたび現れる天使——ミカちゃんが起こす奇跡を目の当たりにしていた。もしかしたらそういうことも起こるのかもしれないと自分なりに納得させて、私はタマちゃんの説明に耳を傾ける。
「猫の大天使様が、3つの願い事を叶えてくれるという伝説がありますのにゃ」
「願いごとの1つが人間になるってこと? それじゃあ、残りの2つは何かしら?」
私が問うと、すかさず答える辻蔵さん。
「1つは、私と一緒に給食を食べることだと思います」
「たしかに!給食をずいぶん食べたがっていましたね」
「中学生の頃は、みうに給食の残りを持ち帰ってあげてたんです……」
遠い昔の思い出を脳裏に呼び起こしているかのように、辻蔵さんは遠い目をして言った。
「中でも、ツナサンドをあげると一番喜んでいました……。食堂のメニューにツナサンドはありませんけど、美咲さんに特別に作ってもらったら、みうは、給食を食べられたと思って、とっても喜んでいました」
「それが2つめの願い事ってわけにゃ……」
タマちゃんが名探偵のごとく顎に手を当てて推理する。
「残す願い事は。あと1つ……」
「でしたら、残りの1つを叶えられる所にいるんじゃないかしら?」
「急いで探したほうがいいですにゃ……!」
重々しい口取りで、タマちゃんが言った。
「どうしてですか?」
「……」
辻蔵さんに遠慮しているのか、何か言いづらいことなのか、タマちゃんは急に黙り込んでしまった。
「どうしたの? 何か言いづらいこと?」
私が返事を促すと、タマちゃんは申し訳なさそうに告げた。
「3つの願いを叶えてもらった後は……消えてしまうにゃ……」
「消える……?」
意味もわからずおうむ返しに訊ねる。
「元々、猫の大天使様によって、人間になったわけですからにゃ。すべての願いを叶えれば、大天使様の元に召されると言う訳ですにゃ」
「召される……?」
「早くみうちゃんを探しましょう!」
3つの願いを叶えれば、天に召されてしまう。逆を言えば、願い事を消費しなければ、みうはこの世に居とどまれることではないか。自分なりに理屈をつけて励ました私は、
「辻蔵さん! もう1つの願い事に、心当たりはありませんか?」
と問うた。
「う~ん。そう言われても……」
「ああ……。もう、3つの願いを叶えてしまったのかも……」
絶望に打ちひしがれたように、辻蔵さんが顔を覆う。
「あきらめてはいけません!」
私の隣でタマちゃんも大きく頷く。
「私だってあきらめたくはないです!」
叫ぶように言う辻蔵さん。
「ああ、こんなことなら、あの子から目を離すんじゃなかった……」
最悪の方向に考えがちな辻蔵さんを励ますように私は、
「他に、みうちゃんに学校のことを話しませんでしたか? 学校で楽しかったこととか……」
と気をそらすような質問を投げかけた。
「みうに聞かせた学校の話と言えば……小学校の時の水泳部の話とか……中学の時のバスケ部の話とか……あと、最近の生徒会のこととかですね……」
「みうちゃんは、辻蔵さんといっしょにごはんを食べることに憧れていました」
私はたったいま思いついた手がかりをわかりやすく説明しようと、できるだけ落ち着いて話しはじめた。
「学園生活に憧れていたと考えるべきです」
「じゃあ……」
「辻蔵さんとおなじような学園生活を送りたい……猫であるみうちゃんに水泳は無理です。ルールを知らないバスケットも難しいでしょう」
「ということは……」
私が言わんとすることを察した辻蔵さんが口にするのと、私が言葉を発したのが同時だった。
「生徒会室にいる!」
互いに目を合わせて頷き合った私たちは、生徒会室へ急いだ。

「失礼します!」
私たちが生徒会室に駆け込むと、出迎えたのは飛鳥会長だった。
「血相変えてどうしたのよ?」
両肩で息をする私たちを交互に見やって、飛鳥は鼻で笑った。
「みうちゃんが……あ、いや……さっきの猫耳の女の子が、ここに来ませんでしたか?」
「あの子? ああ、みう…だったかしら? それなら、生徒会の仕事を手伝ってもらってるわよ?」
みうちゃんが、生徒会の仕事をしている——一気に脱力する思いで、キョトンとしてしまう。
私たちが心配したのもどこ吹く風、そこへ現れたのは、書類の束を抱えたみうだった。
「会長さ~ん! 書類、コピーしてきたにゃよ~♪」
「あら、ありがとう。仕事が早いじゃない。誰かさんよりよっぽど役に立つわ」
「じゃあ、生徒会に入れるかにゃ~」
「もちろんよ。そっちの世界にも生徒会があるなら、立派な会長になれるわ」
どうやらなにもかも事情を察しているらしい会長とみうとのやり取りを半ば茫然と耳にしながら、ようやく我に返った辻蔵さんが身を乗り出して、
「みう! あなたの3つ目の願いって、生徒会で働くことだったの?」
と問うた。
「あれ? 大天使様におねがいごとしたの、なんで知ってるにゃ?」
大天使への願い事——みうが生徒会で働くことを願ったのだとしたら、最後の願いを叶えたことになる。
「遅かった……のね……」
私は顔をうつむけた。
「みうのバカ!! 」
辻蔵さんが声を荒げる。
「人間になんてならなければ……。ネコのままでいれば……ずっと一緒にいられたのに!!
そんな彼女の怒りを、みうは寂しそうな目で受け止めた。
「弥生ちゃん怒らないで欲しいにゃ……。あのね…。ずっと一緒には……いられないにゃよ……いつかはね、お別れがくるにゃよ……」
「何言ってるの? お別れってどういうこと?」
もはや辻蔵さんの顔は涙でぼろぼろになっている。
途端、「ああ!」と声を上げた。
私たちの眼前にいたはずのみうの身体が、消えかかっているのである。
「にゃ………残念だけど、もう時間がないみたいにゃ……」
「みう……?」
「……短い時間だったけど、弥生ちゃんと一緒に学園生活が送れて嬉しかったにゃ~」
「みう!!」
何度も呼び止める辻蔵さんに、みうは最高の笑顔で答えた。
「弥生ちゃん。ありがとにゃあ。大好きにゃあよ~……」
消えかけたみうの身体に向かって抱きつこうとする辻蔵さんと、彼女の姿が完全に消え去るのが同時だった。空をつかむ形になった辻蔵さんは、その場に崩れてしまった。
「みうーーーっ!!!」

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「私が妹だなんて嘘をついて学園内に連れてこなければ……」
懺悔するように私は言った。
「そうすれば、望みも叶わなかったし、みうちゃんが消えることはなかったのに……」
「それでも、お別れは避けられなかったでしょうね」
飛鳥会長が慰めるように言う。
「え? それって、どういうことですか?」
「みうはね、 天へ召されたのよ。……今朝、弥生が学校へ行った後のことだったそうよ」
「天へ…召された…?」
どうやら弥生の飼い猫であったみうは、今朝方亡くなったようだった。その時、猫の大天使様が現れ、天国に逝く前に、3つの願いを叶えてあげたのだろう。
「可哀そうだけど。寿命だったのね……」
「あなたの嘘のお陰で思い出をつくることができたのよ……」

「ええ……感謝しています」
辻蔵さんが涙を飲んで言った。
「いつまでも泣いていたって、みうは喜ばない……ですものね……」
「辻蔵さん……」
気丈に振る舞う辻蔵さんの想いを察しながら、私と飛鳥会長は何も言えないでいた。

「ねえ、お茶飲まない?」
気まずい沈黙を破ったのは飛鳥会長だった。
「弥生、淹れて来て頂戴」
「そんな、お茶なら私が……」
つらいときに何も仕事を振らなくてもいいじゃないかと、私が名乗りを上げる。
「いいえ……! やらせてください!」
鼻をすすって応える辻蔵さん。
「大丈夫です! みうの分も、楽しく学園生活を送らなくっちゃいけないですもん!」
「それでこそ生徒会役員よ」
飛鳥会長は鷹揚に頷いた。
「今日は本当にありがとうございました」
私に向かって頭を下げる辻蔵さんに、
「そんな……」
と恐縮する。
「みうと最後の思い出を……忘れられない最高の思い出を作ることができました」
泣きはらした顔で、にっこり笑った。
私も泣かないように、笑顔を返す。
「さ、早くお茶を用意して頂戴!」
感傷的な空気を払拭するように、飛鳥会長が声を上げる。
「はい! おいしいお茶をご用意して参ります!」
一転、辻蔵さんはきびきびと給湯室コーナーへ下がっていった。

けれど……。
その背中はやはりどこか寂しげではあった。

第5話・おわり