文章:春日康徳
遠くで運動部の連中のかけ声がする。
うつらうつらしていた夏樹啓太郎は眼をさまして、軽く舌打ちをした。よりにもよって、野太い男の声に起こされるとは……。不機嫌なまま、夏樹は充血した眼で起きあがった。
夏樹は昨晩寝ていなかった。一睡のまどろみも許されなかったのである。そこでさっきから独り体育館倉庫の壁に背を凭せかけたまま、すやすやと居眠っていたのであった。
設立されて間もない翔愛学園は、いま、急ピッチでネットワークのシステム構築が行われている。生徒会長の五十嵐飛鳥に命ぜられ、昨夜も寝ずにパソコンに向かっていたのだった。
(やってられねえ……)
あくびとともに夏樹はそんな愚痴をこぼすのだった。
生徒会長の五十嵐飛鳥に誘われて、夏樹は生徒会役員になった。翔愛学園を運営する生徒会に所属するイケメン役員。夏樹なりの理想があって役員になったのだが、待っていた現実は、飛鳥の使い走りというおもしろくもない苦役だった。
自分のことよりも、在校生のために働くことに使命感を燃やし、他人と自らを厳しく律する飛鳥の姿は、傍目から見ていても疲れるほどだ。
だが、残念なことに夏樹には、生徒会の仕事に対し、飛鳥ほどには意義を見いだせずにいる。
それよりも夏樹は、飛鳥に対して敗北感、負けた、という思いのほうが、心に色濃く刻まれている。容姿端麗にして、運動も勉強もできた自分が、はじめて他人に植えつけられた劣等感。それも圧倒的な差が、飛鳥と自分の間にはある。それほどに飛鳥の存在はおおきかった。
生徒会の仕事はべつに勝負ではない。だが、夏樹はそれまでの全能感——自分が本気になればなんだってできてしまうというプライドを、飛鳥によって傷つけられていたのだ。
簡単にいってしまえば、おもしろくない。だから仕事にも身がはいらないし、仕事をしないから飛鳥に怒られる……。
(ったく……)
どうして飛鳥は、こんな素行の悪い自分を解任せず、いまだに生徒会書記にとどめているのか? 問題児を抱えているよりも、いっそ追いだしてくれたほうが清々するのではないか。生徒会人事は飛鳥の独断によって決められていると聞く。
それとも、なにか自分に期待していることがあるのか……?
(あの生徒会長が自分になにか期待することなど、あるはずもない……)
すぐに自問を打ち消した夏樹は、ならば自分から「辞める」といいだしてみようかとも考えたが、それもすぐに却下した。飛鳥会長が許してくれるはずがない。
八方塞がりな状況に、何度目かのあくびを大きく放った夏樹は、背伸びをしながら運動場へと歩を向けた。
生徒会室にいくつもりは、もちろんない。
いっしょに午後のティータイムを過ごす〝お相手〟を探しにいこうと思ったのだ。人並み以上に整った容姿の夏樹ならば、声をかけてなびかない女性はけっしてすくなくないからだ。
「あの~すみません、夏樹啓太郎さんですか?」
不意に女性の声に呼び止められて、夏樹は振り返った。
「んん?」
そこには不安げな表情の女性生徒が立っている。黒い髪がすこし鈍くさい印象を与えるが、親しみを覚える、どこか愛嬌のある女の子だった。
「ああ……夏樹啓太郎は俺だ」
夏樹は髪をかきあげていった。
「ああ、ちょうどよかった。これからいっしょにコーヒーでもどう?」
「は? 何の話ですか?」
「デートだよ。決まってんじゃん」
「ちょ、ちょっと!」
戸惑う女子生徒にはお構いなしに、
「いやいやいや!わかってるってば!どこかで俺を見かけてひと目惚れしたってんだろ?」
と意地悪な眼を送る。
「ち、違いますっ!」
女子生徒が明らかな拒否反応を示す。
「違う? そうか。じゃあバスケ部の大会に代理で出たときの活躍に惚れたかな?」
「そうじゃありませんってば!」
眉根を寄せ、あきらかな拒否反応に、夏樹は(じゃあ、なんで声をかけてくるんだよ)と怪訝な眼を向ける。
「う~ん。俺っていつもカッコ良くて完璧だから、心当たりが多すぎて……」
関わることができない女子たちの落胆に胸がつまるというように、夏樹は胸に手を当てる。
「デートの申し込みではありません!」
「なにっ!? すると、お前は本気で俺と一対一の付き合いをしたいのか?」
「いえ、まったく付き合いたくありません。『わたしがあなたに気がある』というところから離れていただけませんか?」
「なんだと!?お前は俺に気がある訳じゃないと!? そう言いたいのか!?別の用事で来たと!?」
「はい。その通りです」
「そうか。俺の魅力の虜になっていないとは、不幸な女だ」
自分になびかない女子には、興味がない。夏樹は急速に女子生徒への関心が薄れていくのを感じていた。
「まあ、交際を申し込みたくなったら、いつでも来いよ。俺はこれでも忙しい身だからまた今度な」
「ただぼ~~~っと突っ立ていたようにしか見えませんでしたけど」
「だからお前は俺の魅力がわかんねぇんだよ。情緒の無い人間は嫌だねぇ……」
ついさきほどまで居眠りしていたのは事実だが、それは昨夜、飛鳥に押しつけられた仕事をこなしていたからだ。自分に言い訳してから夏樹は、「男というものは、こうやって独り物想いに耽る時間が必要なもんなんだよ」と言い張った。
「なるほど。そうやって自分に酔ってるんだ……」
「さっきから、失礼な奴だな」
まるで飛鳥のような女の子だ。黒髪の女生徒に気分を害した夏樹は、「気分が悪くなった。俺は帰るっ!帰るからな!」とぷいと踵を返した。
「ああああああっ! す、すみません! ちょっと待ってください!!」
すぐに女子生徒が追いすがってくる。
「な、夏樹さん素敵っ♪」
背後で起こった女子生徒の声に、夏樹はびくっと反応して、足を止めた。
「なんだって……?」
落ち込んでいたところに、久し振りに耳にする誉め言葉だった。
「今のフレーズをもう一回言ってみてくれ」
夏樹は ねだった。
「え……?そ、その……」
女性生徒は言い淀んでから、
「な、夏樹さん……すてきー」
と無理矢理いわされているかのような棒読みでいった。
幾分、機嫌を持ち直した夏樹は、
「全く素直じゃねぇ女だな。そう思ってるなら始めからそう言えばいいものを……」
と照れ隠しに前髪をかきあげた。
「あ、あの……そのぉ~~……」
つづく言葉を、女子生徒は思案している容子だった。
「なんだよ? 早く言えよ」
「実は!」
一転、彼女は身を乗り出していった。
「私じゃなくって、私の友だちが夏樹さんのことが気になっているらしくって……」
「なんだと!?」
そうかと夏樹は心のなかで膝を打った。声をかけてきた女子にその気がなくとも、そういうケースも考えられたかと得心する。
「何故それを早く言わん!」
「だって夏樹さんってば、私とのデートの話を始めるから……なんだか友だちのことは、言いづらくなってしまったんです……だから、私が夏樹さんとデートする訳には、いかないんです!」
「ほうほう、なるほど。友だち思いなことだ。いやぁ。モテる男はつらいねぇ……」
「私が夏樹さんにお話して、もしついて来てくれたら……少しは望みがあるって思えて、勇気が出せるって乙女心…わかって貰えますよね?」
「ああ、もちろんだ!」
「それでは、私について来て貰えますか?」
自分のことに興味を持ってくれている女の子がいるのに、それを拒む理由はなかった。それに生徒会に顔を出すのも億劫なので、夏樹は女性生徒についていくことにした。
「ま。しょーがねぇな……」
「でも、ひとつだけお願いがあるんです」
真剣な眼差しで、女子生徒が付け加える。
「私が校内までお連れしますから、いいというまでは、目を開けないでいただけますか? その娘、とても恥ずかしがり屋さんだから」
「なんだそりゃ!?」
恥ずかしがり屋だったら、その友だちが目隠しをすればいいのじゃないかと思い、一瞬、夏樹の心に疑念が生まれる。
「まさか変な女だったりしないだろうな?」
「と、とんでもない!」
顔と両手を振って、女子生徒が否定する。
「私なんかより、ずっと可愛くて、魅力的な女性です! 人生はじめての告白で、とても緊張しているんです!」
初告白。頬を赤らめて、もじもじしながら自分のことを待ち受けている清楚な女の子が頭のなかでイメージされた夏樹は、心に兆した疑念を払拭し、
「ごほん! げほん!そ、そうか。それなら安心だな……」
と腕を組み、眼をつぶった。
「そうと決まれば!待たせては何なんで、急ぎましょう」
女子生徒は眼をつぶった夏樹を誘導していった。
どうやら校舎のなかに入ったらしい。だがどこへ向かっているのかはまったくわからない。階段はのぼっていないから、校舎の1階らしいのだが……。
「いまから、教室に入ります」
「おう」
ドアを開く音がして、女性生徒が自分のことを引っ張っていく。
いよいよ恥ずかしがり屋で清楚な女の子とのご対面か。夏樹ははやく自分のことを待っている女の子に会いたいと急く気持ちで、
「おい、まだ目を開けちゃダメなのか……?」
と訊ねた。
刹那、「わぁ~~~はっはっはっはっ!」と飛鳥会長の高笑いが耳を打った。
「でかしたわ、転入生!!! よく、この愚か者を連行してきてくれたわね!」
眼をあければ、自分のことを待ち受ける恥ずかしがり屋の清楚な女の子は存在せず、そこには生徒会の面々が勢揃いしているのだった。
「て、てめぇ! 騙したなっ!!!」
女性生徒を振り返って、夏樹が咎めた。
「す、すみません。ああでも言わないと、夏樹さん話を聞いてくれなさそうだったので……」
夏樹は大きく嘆息した。騙されはしたが、不思議と怒りはなかった。それは女子生徒が真剣に申し訳なさそうにしている姿と、どこか憎めない愛嬌のある彼女にお人柄とに心が和んでいるからだろう。
そうこれだ——夏樹は小さく心の裡で舌打ちする。天性の人間性。人を和ますキャラクター。それは夏樹にはけっして備わっていないものだった。努力しても身につくものではないだろう。比類なき全能の飛鳥に打ちのめされたような敗北感が、また夏樹の胸に去来する。
「くそぅ!ふざけやがって!! 俺をフェミニストだと知っての狼藉かっ!」
「さぁ啓太郎!」
不適な笑みを浮かべる飛鳥が、書類の束を指さした。片手は腰に当て、あきらかに命令する気でいる。
「この書類に、前回の会議で決まったことを全て書き足して、一項目づつ優先順位をつけた後、職員から出るであろう質問を想定してそれをまとめて、ついでに質問の答えも割り出しておいてちょうだい!」
「なんだって!? そんなん書記の仕事じゃねーだろ!第一、そんな量独りでこなせるものかっ!当然、静にも手伝わせるんだろうな!?」
「何甘えた事言ってるのよ! 静はあんたが遊び歩いてる間、何気に全ての業務をフォローしてたのよ!」
べつに遊び歩いていていたわけじゃない。仮眠をとっていただけだ。言い訳は五万と頭に浮かんだが、ここはなにをいっても場が収まりそうになかった。
「もし、これも逃げようなんて思ったら………」
仕事が積まれぬうちに、引き受けてしまおう。飛鳥に服従しきっている自分に嫌気がさしつつ、夏樹は「わ、わかったよ!」といった。
その答えでは不満だ、というように、飛鳥が耳に手を当て、言い直せと促してくる。
「わかりましたっ! 全部やらせていただきます!」
もう一度だ、とさらに飛鳥は耳に手を当てる。
「やらせて下さいっ!!」
「ふふふっ!」
満足の笑みを浮かべた飛鳥が憫笑を洩らす。
「初めっからそう言えばいいのよ。まったく愚か者なんだから!」
書類の束に辟易としつつ、愚痴っていてもはじまらないと心を入れ替えた夏樹は、さっそく作業にとりかかりはじめた。
聞けば女生徒は最近、転入してきたばかりだという。ミカちゃん——翔愛学園の守護天使に転入初日から遭遇した彼女は、飛鳥会長の目にとまり、夏樹と静を生徒会室に連れてこいという任務を見事果たしたのだった。
転入生はどうやら夏樹に声をかける前に、図書室で静を見つけて、彼女を生徒会に連れてきていたのだった。
「あなた、なかなか使えるわね! 気に入ったわっ!!」
夏樹が仕事に取りかかりはじめたことを目の端で確認しながら、飛鳥が女子生徒にいった。
「あ、ありがとうございます……」
すごすごと転入生がいう。
「あなたのために生徒会に特別役職を用意してあげるわ!」
夏樹はいったん手をとめて、飛鳥に注目した。
そう、自分もこうして騙されたのだ。生徒会役員という肩書きを餌に……。
「あなたは今日から生徒会の……」
「生徒会の……!?」
期待に眼を輝かせた女性生徒が、身を乗り出している。
「『メイド』に、任命するわ!!
呆気にとられたのは女性生徒だけではない。生徒会室にいただれもが一瞬、飛鳥がいまいったことの意味を判じかねていた。
「は!?」
「まぁ、メイドと言っても、主に全生徒会役員の雑用や使いっ走りをやって貰う、奴隷みたいなものかしら?」
「それって、呼び名よりも、実態の方が悪いんじゃ……」
「当然!」
「断固として反対ですっ!」
握りこぶしに力を込めて、女子生徒が訴えた。
「人民の人民による人民のための生徒会をっ!!」
「あら、もちろん天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らずが生徒会のモットーよ♪」
飛鳥が腰に手を当てて答える。
「まあ、生徒会が天だけどね♪」
まさに生徒会の声は天の声という訳か……書記の自分よりも下っ端が生まれることは、夏樹にとっては大歓迎だった。飛鳥から振られる仕事がそれだけ分散されるというものだ。
「なによ!その不満そうな顔はっ!」
不安そうな女性生徒に、飛鳥が問い詰める。
「それとも何!?失敗をしたら責任を問われるような役職に就きたいの!?」
「いえいえいえ! とんでもないっ!」
「まったく!自分の立ち場ってもんを、自覚しなさいよ! 今日からあなたは生徒会就きの『メイド』よっ! いいわね!」
「は、はいっ!」
転入生は飛鳥の勢いに載せられる形で安請け合いしてしまっている。いいのか? と夏樹は転入生に眼を向ける。彼女の目は助けを求めていたが、自分を騙した罰だ、とでもいうように、夏樹はにやにやしながら眼を逸らした。
「まったくもぅ!私の命令に口答えするなんて百三十七億年早いわよっ!」
そうして役員たちに仕事を割り振った飛鳥は、
「それじゃ私、職員室に行って来るから。後頼んだわよ!」
と生徒会室を去っていった。
張り詰めていた緊張の糸が、一気に緩んだ。
嵐が去ったとでもいうように、生徒会室の一同みながほっと胸をなで下ろしている。
「お気を悪くしないでくださいね」
弥生が自分で淹れたお茶をみんなにくばりながら、転入生をフォローする。
「会長さんが言ってる事を要約すると、ミカちゃんも見えて、信頼を置けるあなたに生徒会の仕事を是非手伝って欲しいと、お願いしたいんだけど、会長さんってばテレ屋さんだから、ああいう風にしか言えないんですよ」
「は、はぁ……」
ものはいいようだな、と夏樹は鼻で笑う、
「なんか、そうやって言われるとテレますね……わたしなんかでよろしければ……どこまで役に立てるかわかりませんが、精一杯頑張らせていただきます!」
「一緒にがんばりましょう!」
弥生がにっこり笑う。
「よく言った;転入生。思う存分コキ使ってやる」
眼鏡を押しあげながら、筒井副会長が言った。
「ご愁傷様……」
茅野が申し訳なさそうにいう。
「やっぱり騙された…って感じします?」
「……もう深くは考えないようにします
「では、今日は夏樹さんが奥でお仕事全部してくれるそうなので、皆さんは解散ということで」
静がぽつりと言い放つ。
いいんですかと、転入生が夏樹に眼を送ってくる。
「おう、帰れ帰れ!」
夏樹は手を払っていった。
「あとは任せておけ!」
「じゃ、お疲れ」
筒井をはじめ生徒会の面々と『メイド』は、夏樹に言葉をかけて、生徒会室を出て行った。
またひとり、飛鳥の奴隷——彼女の言葉をかりれば、生徒会の特別役員『メイド』らしいが——が生まれたな、と夏樹は皮肉な笑みを洩らして、仕事に戻っていった。
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