彼は、香港にいる——。
【キャラフレ】で親しかったかつての仲間を集める。新年会を兼ねた同窓会を企画していたときだった。幹事に選ばれた大塚紗理奈は、参加者名簿を作成するなかで、彼の消息を知ったのだった。
紗理奈は【キャラフレ】内のあるゲームサークルに所属している。
いまでこそサークル内でもお姉さん的立ち位置で、スケジュール管理をしたり、新入生にわからないことを教えてあげたり、他の部活・同好会との折衝を担当しているが、彼女もかつては右も左もわからないヒヨッコだった。
そのとき、紗理奈をやさしく指導し、【キャラフレ】の楽しさを教えてくれた先輩たちが、お正月に集まることになったのだった。
先輩たちの新年会兼同窓会の幹事になった紗理奈は、SNSやメール連絡で先輩たちと連絡をとっていた。その中で唯一、彼だけが連絡がつかず、諦めかけていたところだった。
彼は、紗理奈を導いてくれた憧れの先輩の一人だ。
大学を中退し、アジア放浪の旅に出ていってしまった彼は、いま香港にいるらしい。いったい香港でなにをしているのかは定かではなかったが、連絡先を教えてもらった紗理奈は、ひとしきりどうやって声をかけたらいいか頭を振りしぼった。
自分でも、彼のことをどう思っているのか整理ができていない。
好きなのか、憧れなのか。
ただ、彼のことを思うと胸が苦しくなる。
ひとときでもいいから、彼と時間を共有したい。
この心のもやもやがなんなのかもまだ自分で分析できないまま、紗理奈は、教えてもらった彼のSNSで連絡をとった。
「久しぶりだな! オレもみんなに会いたいし、楽しみにしてるよ!」
一日かけて考えた紗理奈の文面の返信がこれだった。
元旦に翔愛学園の屋上で初日の出を見る。年初めのこのイベントを通じて同窓会をやるので、参加しませんかと誘ってみたら、彼はいともたやすく返信してきたのだった。
香港にいる彼が、はたして【キャラフレ】にアクセスできるのか。一抹の不安を感じながらも、紗理奈はすぐさま次なる行動を開始した。
彼が参加する。
そうなれば、紗理奈も準備を怠るわけにはいかない。
さっそく紗理奈はテレビの恒例年末番組もそっちのけで、振り袖の準備や髪型のセットをはじめたのだった。
校舎の屋上で初日の出を拝んだら、その足で初詣に出かける予定になっている。先輩たちとの再会を楽しみにしながら、紗理奈はショッピングモールへ急いだ。
普段は足を踏み入れる機会の少ない呉服店へ行けば、2014年モデルの振袖が並んでいる。京都出身の友だちと相談しながら、あまりなじみのない和装の着付けに気を配り、紗理奈は着替えを確定していった。
そして、2013年12月31日。
大晦日を迎えた。
23:00に登校【ログイン】した紗理奈は、振り袖姿で校門をくぐっていった。待ち合わせていた友だちと下駄箱で落ち合ってから、いっしょに屋上へ向かう。
まだ暗い空の下、屋上には振り袖姿の生徒が立錐の余地もないほどに詰めかけていた。
「紗理奈! 久しぶり!」
声をかけて振り返れば、紗理奈の呼びかけで久しぶりに登校【ログイン】した野坂先輩が手を振っている。
「先輩!」
飾り気の無い野坂先輩は振り袖でははく、制服姿のままだった。
「なんだ、あたしもちゃんと着替えてくれば良かった……」
屋上に詰めかける生徒のほとんどが袴や振り袖姿なのを見回して、野坂先輩はぼやいた。
「あれ!? 野坂じゃん!」
紗理奈たちが再会を喜んでいると、さらにド派手な振り袖姿の女の子が合流してきた。
「柊先輩! 来てくれたんですね!」
ブロンドの髪に、左右異なる瞳の色をして、深紅の振り袖を身にまとう柊先輩もまた、久しぶりに登校【ログイン】したようだった。
SNSで呼びかけると、かつてのゲームサークルの同人たちがさらに集まってきた。
「いや~懐かしいねえ……」
先輩たちに囲まれながら紗理奈は、しかし、彼の姿がいっこうに見えないことに不安を覚えはじめていた。
時間は、23:45分。
今年もあと15分で終わる。
なのに彼は、いまだに姿をあらわさないのである。
「ねえ、アイツは?」
柊先輩が、集合したかつてのサークルメンバーを見回しながら訊いてくる。
アイツとは、当然、彼のことである。
「参加するって、おっしゃってたんですけどね……」
「アイツ、いま香港にいるんでしょう?」
「そうらしいですね……」
「もしかしたら、無理かもね……」
残念そうに柊先輩が言う。
「無理って……どういうことですか?」
目を見開いて問う紗理奈を哀れむように、柊先輩は「知らないの? 今日中国でテロ事件があったんだって」と告げた。
「テロ事件……?」
登校【ログイン】できないこととどういう関係があるのかと問うように、紗理奈は柊先輩の目を見返す。
「中国はネットの規制が厳しいからさ。テロ事件とかが起きると、いっさいアクセスできなくなるんだよ」
「そんな……」
絶句する紗理奈が、時計を確認すれば、もう23時55分だった。
彼は、こないのか。
一気に脱力する思いで、紗理奈は大きなため息をつく。
彼とSNSやメールで連絡を取ろうとしたが、回線が込み合っているのか、返信はない。
「なんだ、紗理奈! 元気ないじゃん!」
野坂先輩が紗理奈を背中をたたく。
「いえ、そんなんじゃ……」
夜空に浮かぶ雲が、暁色に染まりはじめてきた。日の出の時刻は迫っている。屋上に詰めかける生徒たちも、カウントダウンを開始する。
3、2、1……。
パン!
紙吹雪の大砲が放たれて、色とりどりの紙片が舞う。
「さて、日の出がよく見える場所に移動しましょう」
生徒会長の呼びかけで、さらに人が集まってきた。
先輩たちと再会できて、うれしいはずなのに、紗理奈の心はどこか愉しまない風ではあった。
彼との再会こそ、楽しみにしていたからだった。
やはり海外からは難しいのか……。
気持ちを切り替え、幹事としての職務を果たさねばならない。ヒヨッコだった自分が成長した姿を、先輩たちに見てもらいたい。使命感で気を引き締めなおした紗理奈は、
「みなさん! では、初詣に向かいましょう!」
と先輩たちに呼びかける。
「待った、待った!」
そのときである。
新撰組のダンダラ羽織り姿の男の子が、こちらに向かって手を振っていた。
「あれ!? アイツじゃない!?」
野坂先輩が目を細める。
「えっ、どこですか!?」
彼は、いた。
紋付ではなく、なぜか新撰組の浅葱色の羽織りを身にまとって。
「先輩!!」
紗理奈が叫ぶと、彼は後頭部をかきながら、
「わりい。遅れた」
と詫びてにっこり笑った。
「香港からよくネットできたね!?」
柊先輩が彼に問う。
「オレ、いまシンガポールにいるんだ」
新撰組の隊服のままで彼はいった。
「シンガポールって……香港にいるんじゃなかったの?」
「ほら、テロの影響でネットできないからさ……」
「それでわざわざ?」
ふっと悪戯っぽい笑みを浮かべた彼は、紗理奈の頭をぽんと叩いた。
「コイツとの約束を果たすためだったからな!」
「先輩……」
湿っぽくなる空気を振り払うかのように、彼は、
「ほら、幹事! 仕切って、仕切って!」
と紗理奈を小突いた。
彼との再会に面食らっていた紗理奈も、ようやく我を取り戻し、ひとつ咳払いしてから、
「それではみなさん! 初詣に参りましょう!」
先輩たちを誘導しながら、ちらと彼を見やると、こちらにウインクを投げかけてきた。
相変わらず変わらない彼にどぎまぎしつつも、紗理奈は日の出のときとは一転、心弾んでいる自分に気がついた。
今年は、良い年になりそうだな、と思いながら、紗理奈たちは神社へと向かていった。
おわり