夜だというのに、学園内には生徒がたくさんいた。今、下駄箱に集まっているのは60名ほど。授業が始まるまでの間(あるいは始まっても)、生徒たちはここで思い思いのおしゃべりをつづけているのだった。
石田歩は【友だち】が登校しているのかをチェックしてみた。歩には現在、約40人の【友だち】がいることになっている。今晩、登校している【友だち】のなかに、以前、挨拶をした顔見知りの子がいたので、まずは「こんばんわ~」と話しかけてみる。
「さっき音楽の授業受けてきたの(・∀・i)」
「どうだった?」
「『隅田川』っていう童謡の作曲者が誰かって問題だったんだあ。間違えちゃったよ(*ノД`*)音ゲーだったら負けないのに!」
「へえ~。音楽ゲームが好きなんだ? 私もボカロとか好きだよ!」
歩たちが音楽ゲームやボカロの話しで盛り上がっていると、「こんばんわ!」と別の子が加わってきた。歩は時間を忘れ、【友だち】との会話を楽しんだのだった……。
思えば3日前には考えられないことだった。
歩はどちらかといえば意味のない世間話やたあいもない社交トークは苦手な方だ。顔見知り程度の人と話はつづかない。すぐに気まずい沈黙が訪れる。どうでもいい天気や気温の話題ができないタチだった。そんな自分が、こんなにも自然に他人と会話し、共通項を見つけ出し、いろんな人とおしゃべりできるなんて……。
福岡の大学に通っていた歩は、大学2年生のときにカナダに1年語学留学をした。帰国後は大学には戻らず、上京してフリーターをつづけていた。
身につけた英語を活かした職業に就きたい。そんな想いはありつつも、バイト先には仲のいい友だちがたくさんいた。男の子も女の子も、みんな仲が良かった。ご飯を食べに行ったり、お酒を飲んだり、カラオケや遊園地に行ったり。みんなでいろんな思い出をつくった。
けれど、将来のことを考えたら、このままフリーターのままではいられない。友だちと別れてしまうのはとても残念だけど、歩は就職をすることにしたのだった。
それが1年前の話――。
歩は貿易関係の会社に就職し、いまは事務をしている。働きながら、資格や語学を磨いて、キャリアアップを目指していく。そんな理想を思い描きつつも、心のどこかにぽっかり穴があいてしまったような寂しさが今の歩にはあったのだった。
昔のバイトの友だちとも時々メールやSNSで連絡を取り合っているが、最近は疎遠になり始めている。共通の話題が過去しかないから、すぐに話題が尽きる。「あんなに仲が良かったのに」と思うとさらにせつなさが募った。
かといって、歩は同僚の男性社員からの食事の誘いは固辞した。バイトのときは気軽に男の子とご飯にも行っていた。けれど、「そろそろ結婚しなきゃ」という話しを横で聞いていると、考えすぎかもしれないが、なんだか下心があるような気がして嫌だったのだ。
いつしか歩は孤独になっていた……。
気軽に、なんの気なしに、おしゃべりがしたい――。
現実を忘れて、気の合う仲間と時間を過ごしたい――。
そんなとき、始めてみたのが《キャラフレ》というブラウザゲームだった。《キャラフレ》はゲーム専用のソフトウェアをダウンロード・インストールする必要がない。インターネットに接続できる環境であればどこでも気軽に遊ぶことができる学園アドベンチャーゲームだ。
まずプレイヤーは自分の分身【アバター】となって学園生活を送るキャラクターを作成する。学生服以外にもさまざまな衣装・コスチュームが用意されている。おしゃれにこだわりたければ課金することでポイントを得て、購入することができる。
キャラクターを作成し、歩はいよいよ学園生活を始めてみた。
ゲームの舞台となるのは『私立翔愛学園高等部』。簡単なチュートリアルを終えた歩は、『新入生』のバッジをつけて登校(ログイン)していった。
1階の下駄箱には生徒がたくさん集まっている。登校(ログイン)してすぐの場所には、人が集まりやすいようだ。周囲を見渡せば、みんな思い思いの衣装・コスチュームに身を包んでいる。
気になる子がいたので、公開されている学生証を確認してみた。「気軽に話しかけてね♪」とあったので、まずは【挨拶】をしてみる。
《キャラフレ》では、【挨拶】を交わした生徒が【顔見知り】として友だちリストに追加される。だから【挨拶】をするだけでどんどん友だちが増えていく。
「こんにちわw」
「こんにちわ~(^-^)」
その人とより親密になりたい。けれど、なにを話したらいいのかわからない……。そんなときは、相手を【ゲームチャット】に誘ってみればいい。選択肢から会話の内容を選んで進めていくだけで、自動的に会話のきっかけが作れるからだ。
【ゲームチャット】を最後まで進めていくと、お互い正式に【友だち】になりませんかと提案することができる。【友だち】になったら2人きりでおしゃべりできる場所へ移動して、より親交を深めることもできるらしい。
頬を赤らめ、互いに【友だち】になったあと、歩は仲良くなった女の子と2人きりでお話をすることにした。その子について行くことにしたものの、一向に2人きりにはならない……。
(2人きりになれる場所って、そもそもどこだっけ?)
新入生の2人はその場所がわからないまま、結局、相手の女の子は下校してしまった。
よくよく調べてみれば、学食のテーブルに2席用のテーブル席があった。親交を深めたかったら、ここに来ればいいのだ。
初日だけで歩は20人以上の【友だち】をつくることができた。
ただ、課題もある。【友だち】にはなれても、受け身のままでは〝それ以上〟踏み込んだ関係にはなれないということ。【友だち】とおしゃべりをするためには、自分から行動しなければならなかった。しかし、なんに関してもそうだが、最初の一歩はなかなか踏み出せないものだ。
次の日、歩はふたたび翔愛学園に登校(ログイン)した。下駄箱には例によって生徒たちが集まっている。そのなかから歩は、栗色のショートカットの女の子に惹かれた。学生証によれば、歩と同じように女の子でゲームが好き、カラオケも大好きと書かれていた。もしかしたら気が合うかもしれない。
無視されたらされたで、別の子にまた話しかけてみればいいじゃないか。よく考えたら歩は、これまで何度も勇気ある決断をしてきた。
留学を決めたときも、福岡を離れて上京すると決めたときも、大学を辞めると決めたときも。そして、仲良しのアルバイト仲間がいたはずの職場を離れるときも……。
いつだって歩は一歩を踏み出してきた。
今回だって……。
「こんばんわ~」
歩が話しかけてみると、
「こんばんわ!」
とすぐに【挨拶】が返ってくる。
会話が途絶えないようにと、歩は女の子の服装が気に入っていたので、素直に感想を述べる。
「お返事ありがとう。お洋服のニットが秋らしくってかわいいねw」
やや間があって、
「歩さんもかわいいw」
という返事が返ってきた。話しがつづくことに安堵しながらも、歩は「実は、最近、はじめたばかりなんです……」と告白する。
「よかったら、【友だち】になりませんか?」
歩が提案する。
ふたたび間があった。急すぎたかな、と不安になっていると、
「いいですよ~」
という返事があった。ゲーム内のアバター同様、あまりのうれしさに歩は頬を紅に染めた。
その日はボカロとゲームの話題で盛り上がった。久しぶりに心から笑みが漏れるような、人と人との触れ合い、つながりを感じられて、胸がぽっと温まった心持ちだった。
【友だち】はまだまだ少ない。これからどんどん増やしていこう。気の置けない【友だち】が、《キャラフレ》だったらすぐにできるんだ。歩は思った。
そう、ちょっとした勇気さえあれば。
「友だちのいる場所」おわり
この物語はフィクションです(協力:翔愛学園生徒の皆さん)