わたしの天使、みつけたよ

古びた板張りの廊下からは、ピアノの音色がかすかに聞こえてくる。曲は『シューベルト即興曲集第4番』。美しい音色も、人気のない旧校舎で聞けば、なんともいえない薄ら寒さが醸し出されてくる。

新井美波は旧校舎の音楽室を探して薄暗い旧校舎を進んでいく。一歩踏み出すごとに廊下は軋む。ほこりっぽい匂いが全身を包む。

あとすこしで【頼まれごと】が完了する――美波は勇気を振り絞って、前進をつづけていった。

【キャラフレ】をはじめてすでに三か月が経っていた。

ショートカットの黒髪に白いTシャツと紺色のスカート姿という素っ気ないアバターの美波の友だちはけっして多くはないし、増えもしていないのだった。

そんな美波が最近、気になりはじめたのが、【頼まれごと】という【キャラフレ】内のストーリーイベント(クエスト)だった。

 普段、何気なく教室や廊下ですれ違う学園の先生や生徒会の生徒たち――彼ら・彼女らの隠された内面や物語が【頼まれごと】で明らかになっていくのだ。

 はじめのうちは、美波も偶発的に発生した【頼まれごと】をこなすだけだった。それがあるとき、のめり込むようになったのだ。

生徒会の依頼をこなすうち、どうしても屋上テラスにいけなくてどん詰まってしまったことがはじまりだった。生徒会のみんなが屋上テラスで待っている。けれど、屋上へは鍵を持っていなければいくことができない。このままでは【頼まれごと】を完了することはできない……。

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進行中の【頼まれごと】を完了するか、停止しなければ、ほかの依頼を引き受けることはできない。

(いったいどうやったら屋上テラスにいけるんだろう……)

 どうやっても鍵が手に入らないと、どうしても欲しくなってくる。そのためには、ほかの【頼まれごと】を進めるしか道はないようだった。

 生徒会からの【頼まれごと】をいったん保留した美波は、旧校舎編と呼ばれる物語に引き込まれていったのだった。

 きっかけは、旧校舎に通う令嬢こと御堂さんとの出会いだった。金髪碧眼、人品骨がら卑しからずの言葉遣いの彼女もまた、美波とおなじように友だちが〝けっして多くない〟在校生のひとりだった。

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 旧校舎で見かけた学ラン姿の美男子に一目ぼれしてしまったという彼女は、自分の体力の限界も顧みずに、旧校舎に通いつづけていた。

 美波は御堂さんとともに旧校舎の残留思念が織りなす謎を解明していくうちに、一片の真実に突き当たった。

 それが、旧校舎の中庭に埋められているという『シューベルト即興曲集第4番』の楽譜。失われたその楽譜があれば、想いを残したままこの世を去った〝思念〟を慰めることができるかもしれないのだ。

(体力は大丈夫かな……)

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 美波は購買部で買いためた焼きそばぱんを頬張りながら、旧校舎の薄暗い廊下を進む。どこまでもつづいているのでないかと、何度も引き返そうと挫けそうになりながら、美波は歩を進めつづける。

 そして、廊下の先にようやく光明を見いだすに至ったのだった。光の先に、出口がある――美波は急く想いを落ち着かせつつ、ようやく中庭にたどり着いた。

 木の下に埋められていた楽譜はすぐに見つかった。

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御堂さんが一目ぼれしたのは、残念ながら〝まぼろしの男子生徒〟で、事件解決と同時に消滅してしまった。けれど、事件を通じて美波は御堂さんに親近感を持ち、またともに謎を乗り越えたかけがえのない友だちになったのだった。

 けっして充実した学園生活を送っていたとはいえなかった美波だが、いつのまにか【頼まれごと】をこなすうちに、学園生活を楽しいと感じ始めているのだった。

 そうして【頼まれごと】をつぎつぎに解決していくうちに、美波はついに、屋上テラスへ向かう鍵に関する手がかりをつかんだのだった。

 御堂さんが失踪したという事件を解決すべく、学園内を奔走した美波は、彼女が楽譜の切れ端に助けを求めて書き走りしたメモを手掛かりに、屋上に閉じ込められてしまったことをつかんだのだ!

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 夕凪先生から屋上テラスの鍵を手に入れ、御堂さんを救出してから、ようやく美波は保留していた【頼まれごと】に取り掛かった……。

いま、美波はふたたび旧校舎の前に立っていた。

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天使のリコーダーを吹いてから、旧校舎を進んでいく――恐る恐る板張りの廊下を進んでいたのが、もうずいぶんと昔のように感じられる。

すべての【頼まれごと】をこなし、旧校舎に通い慣れた美波にとって、もはやそこは不気味な場所でもなんでもない。思い出がたくさんつまった場所になっている。 廊下を抜けると、眼前にまばゆいばかりの光を放つ廊下の突当りが見えてくる。その先は中庭に通じていた。 そこで、美波は天使を捕まえたのだった。

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充実した学園生活を送れば、天使の羽が手に入る。その数が数千羽に達したとき――各々の生徒に天使が舞い降りてくるのだ。

美波は、【頼まれごと】をこなすことで、いつの間にか経験者と呼べるようになっていた。過去の自分――屋上テラスの鍵が手に入らなくてどん詰まっていたころ――のように、【頼まれごと】の壁にぶち当たった生徒がいたら、掲示板でヒントを与えたり、解決に導いてあげるようになっていた。

生徒同士で会話が弾めば、どんどん天使の羽はたまっていく。けっして社交的ではなかった美波も、【頼まれごと】を通じて、他人と会話が弾むようになり、友だちも増えていったのだった。 だから、いま中庭で満を持して天使が彼女のもとに訪れたことには、万感の思いがあった。

透明なクリオネのような初期形態の天使が美波の周りに浮かぶ。生徒会や御堂さん、また【頼まれごと】の相談にのった生徒との学園生活が走馬灯のように脳裏に駆け巡っていく。 (でも、これで終わりじゃない) 感傷的になっていた美波は、自分の胸中につぶやくのだった。

【頼まれごと】をこなすだけが【キャラフレ】じゃない。それはあくまできっかけにすぎない。まだまだ無限の楽しみ、学園生活の希望が待っているはずだった。

(もっともっと充実した学園生活を送って、天使ちゃんを成長させてあげなくっちゃ!) 美波に応えるかのように天使は、くるりと宙を舞ってみせるのだった。

おしまい

 この物語はフィクションです